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理事長 あいさつ

理事長 柳 敏晴

日本ラケットボール協会は、1980年に設立され今年で25周年を迎えます。短時間にカロリーを消費しストレス発散ができる競技種目で、ストレスフル社会で最適のスポーツと言えます。愛好者の皆様と共に、普及・発展に努めたいと考えています。ラケットボールを紹介しているニュースポーツ事典には、次のように記されています。「ラケットボールは、ファッショナブルなウォールゲーム(壁打ちラケットゲーム)として、日本でも愛好者を増やしています。しかし、現時点では会員制のコート、クラブが殆どなので、まだ一般的と言えない面もあります。まずは、ビジターとして体験してみるのが良いでしょう」(北川勇人著 ニュースポーツ事典 遊戯社 1991)

ラケットボールを取り巻く状況は、15年前の記述から余り変っていないようです。公共施設や学校施設にラケットボールコートを設置していただけるように、さらに働きかけていきたいと考えています。 日本ラケットボール協会は、次世代のプレーヤーを養成するために、ジュニアと学生連盟の強化を中期計画で図りたいと考え、昨年度より取り組み始めました。今年度は世界選手権がドミニカで開催されますが、男女とも新しいチャンピオンを中心に、スポーツマンシップに溢れたフェアプレイの、日本旋風を起こしてくれるものと信じています。

各種スポーツの大会の開会式に選手代表が「スポーツマンシップにのっとり正々堂々と戦うことを誓います」とよく言われます。それでは「スポーツマンシップ」とはどのようなことでしょう。私が勤めている体育大学でも、的確に答えることができる学生は余りいません。解りやすい参考図書が見つかりましたので、ご紹介しながら考えたいと思います。(広瀬一人著 スポーツマンシップを考える 小学館 2005)

19世紀前半英国のパブリックスクールで、フットボール(サッカーの原型)が流行していました。ラグビー校校長のトマス・アーノルドは、フットボールをプレーする時に「手を一切使ってはいけない」「相手を蹴ってはいけない」と教えました。当時、スポーツは紳士(gentleman)を育てる場であり、野蛮なゲームでなく、弱いものいじめをしない、フェアプレイを貫き、立派な行いをするのが「スポーツ」という考えが誕生したということです。サッカーの「手を使わない」というルールは、暴力を避けることから成立しました。19世紀になり文明化の一環として、野蛮な暴力を避けるためにスポーツが再定義され、近代スポーツとなり、ルールやフェアプレイという考えが誕生しました。英語で、“He is a good sport.”という言葉は「彼は信頼に足る人物だ」という意味です。競技に負けた時に素直に負けを認め、それでいて頭を垂れず、相手を称え、意気消沈せずに次に備える人が真のスポーツマンです。スポーツマンという言葉に、グッドルーザー(Good Loser:素直に負けを認める人)とか、同じスポーツをする良い仲間(Good Fellow)という意味もあります。広瀬氏は、スポーツマンシップとは、次の三つを尊重(respect)することだと述べられています。スポーツをする相手と、競技を進行する審判と、そして競技規則の三つです。よく解る言葉ですし、ラケットボール競技でも、スポーツマンシップに溢れた試合を進めたいものです。

英国で学んだことに、スポーツ推進の母体はクラブだということがあります。「近代スポーツの基本的機関であるクラブは、集まっては自らの熱情を議論にぶつけた紳士たちのグループに起源する」とよく言われますが、まったくそうだと思います。テニスのウインブルドン大会は、The All England Lawn Tennis and Croquet Club(1877年設立)が運営しています。ゴルフのThe Openは、Royal and Ancient Golf Club of Saint-Andrews(1754年設立)ですし、ヨットのThe America's Cupは、New York yacht Club(1851年設立)でした。長い歴史を持つ、素晴らしいクラブがたくさんありますね。日本のラケットボール界でも、馬車道クラシックという素晴らしい大会がありました。各クラブが、それぞれの特徴を出し、クラブ単位で大会を開催していただければ、それぞれの地域でラケットボールが根を下ろし、着実に発展するのではないかと期待しています。

スポーツマンシップとよく似た言葉にフェアプレイという言葉があります。広瀬氏によると、フェアプレイのルーツは中世ヨーロッパの騎士道にあったということです。一対一の正々堂々とした戦いを意味していましたが、同じ条件で戦うという意味ではなく、相手の不利につけこまないと言うことだったようです。現在のように、ルールに則って、同じ条件で戦うことが重要になったのは、ルールの固定化と明文化以降ということです。

フェアプレイの概念は、ビクトリア朝時代の英国で形成されました。英国の貴族的な有閑階級は、スポーツ競技を一つのレジャー(気晴らし)の手段とみなし、勝つことが重要でないだけでなく、むしろ無視すべきものだったと言うことです。ゲームに参加することに比べると、結果などは取るに足らないことだったのです。したがって、実はゲーム参加者の間では、プレーする上での条件がフェア(公平)かどうかということもそれほど重要ではなかったようです。たとえば、当時のフットボールと言うゲームは、たいてい双方の競技者の数は等しいものではなかったと言うことです。現代では考えられないことですね。しかし私達の子供時代には、数が足らなかったら透明のランナーや、ランナーに当てるとアウトのようなルールを創って、草野球を楽しんだことを思い出します。また、フットボールでは、当初レフェリーが必ず存在していたわけでなく、フリーキックや退場と言った罰則も規定として存在していなかったということです。プレーヤー以外の第三者が外部から有効なコントロールを行うレフェリーと言う存在は、1871年にFAカップがオープン化し、労働者階級のクラブも参加することになったとき、初めて導入されたのです。それ以前は、紳士は反則を犯さないと言う前提でゲームが行われていたと言うことです。英国型のゲームはセルフジャッジが普通だったのでしょう。英国で盛んなスポーツにクリケットがありますが、クリケットにも公明正大なふるまいという意味があります。広いグランドで、審判は一人ですから、選手は自主的にノーバウンドで捕ったか、ワンバウンドで捕ったかを申告するようです。そこで、英語の口語のcriquetには、公明正大なふるまいとか、フェアプレイ(fair play)という意味があり、play criquetは公明正大にふるまうという意味です。米国型のゲームとの違いかもしれません.

競技では必ず勝者と敗者が生じます。勝利しようとすることは、ゲームにおいてベストを尽くし、そのゲームで目指すものに対してできる限りのところまで到達しようとする行為です。その努力は、自分の相手も勝とうと努力し、自分より優れた成果を出そうと言う努力があって初めて可能です。相手もこちらが勝利のために努力しないと、素晴らしいパフォーマンスはできません。このように考えると、相手が素晴らしい機会を与えてくれたことに対し感謝すべきではないでしょうか。試合の場で、相手とは敵対関係にありますが、逆に素晴らしいプレーを目指す価値を共有するパートナー関係でもあります。スポーツ競技の場では、協力関係と敵対関係とは相反するものではないということです。特にラケットボールでは、6m×12mの限られたコート内に、二人ないし四人(ダブルス)のプレーヤーが入るわけですから、お互いに協力し、尊敬しあわないと、楽しい、素晴らしい試合ができないと考えます。ラケットボールを通し、他の競技に誇れるスポーツマン・ウーマンが育って欲しいと考えています。

今後とも、皆様のご協力、ご指導とご支援をお願いいたします。

平成18年3月
特定非営利活動法人日本ラケットボール協会
理事長 柳 敏晴